10年とちょっと前の話だ。
平成12年11月1日、日弁連臨時総会は、司法試験合格者3000人を受け入れる決議を採択した。
この日、私は、本会議場だったクレオには入ることができず、別室に通され、議事の様子をテレビ越しに見ながら、じりじりと、もどかしい思いを募らせていた。約9時間にもわたった議事は、文字どおり混乱を極めたが、私の内心は、時間とともに冷めていく一方だったように思う。
正直なところ、内心では、この国の司法界がどうなるのかといった大上段に構えた不安を感じている余裕はなく、これから自分の仕事がどうなるのか、端的に10年後に自分は喰っていけるのだろうか、という懸念の方が大きかったのである。
私が司法試験に合格したのは平成2年で、合格者年500人と言われた最後の世代だ。それが、これからは、6倍の人数が毎年合格してくるという。平成2年以前は、例年、口述試験の合格者が確か4000人くらいだった。その4分の3が合格し、しかも、大半は弁護士になるはずだ。単純計算で、10年で3万人。下手をすると、独立どころではなく、路頭に迷うかもしれない。真剣に、そんな不安を抱えていた。
あの臨時総会から10年、私はまだ、何とか喰ってはいる。各地の同期も、厳しいとは言うが、弁護士で喰えなくなったという話は聞かない。正直なところ、司法改革が良い方向に行っているのか、それとも、今は破局の前のプラトーに過ぎないのか、私には分からない。
しかし、あの臨時総会当時、喧伝されていた司法改革の理念が、今、大きな問題を抱えて、曲がり角にさしかかっていることは確かなのではないか。
もちろん、物事を前に進めていく上で、ある程度のリスクをとることは避けられない。司法改革を推進した立場の方も、まさか、改革をスタートさせればそれで良しと考えていたわけではないだろう。
大事なのは、社会の仕組みを変えていこう、改革をしようというなら、その進展を不断に監視し、問題が出てくれば、それが芽のうちに速やかに、きめ細かく対応をしていくということではないか。
改革の成否をそのスタートラインで評価することは無意味だ。きちんとしたモニタリングとフィードバックがなければ、改革が絵空事に終わるのは目に見えている。しかし、今のところ、司法改革を様々な視点から検証しようという試みが地に着いているとも思えない。
このコラムでは、司法改革を、地方弁護士のごく私的な目線から、検証していきたいと思う。弁護士という業種に身を置く人間が、司法改革の肌触りを、一地方の日々の生活の中から、下から目線でレポートできれば、今後の道筋を判断する上で、なにがしかの資料になるのではないか。そんなことを考えている。
はたして、ここからまた10年後、私たちは、ちゃんと弁護士として喰っていけているのか。今現在、私の関心は、ここに集約している。読者とともに、この問題を考えていければ幸いだ。