司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 私が修習をした平成3年当時、研修所は湯島にあり、1クラス約50人で10クラスがあった。私は1組の所属で、これは別に成績がよかったからという訳ではないようだが、何となく気分はよかった。湯島の研修所は、岩崎弥太郎邸の脇にあって、世間から隔絶された感じの奥まった丘の上にあり、広いグランドがあって、サッカーの試合ができるほどだった。建物は古かったが、小高い場所にあって景色はよく、落ち着いた雰囲気が漂っていた。

 
 1組は、若手は在学中に司法試験に受かった秀才から、昭和初期に司法試験に受かり、企業に勤めた後、定年退職後に「ぼけ防止」と称して修習を受けることにした昭和一桁生まれの方まで、メンバーは多彩を極めていた。このクラスは仲がよく、修習終了後、今に至るまで、2年に1回、「ファーストクラス」と称して、クラス会を開いている。これだけ頻繁に会合を持つのは、同期の中でも珍しいようだ。幹事は、毎回、関東と関西の弁護士が交代で務めることになっている。前回のクラス会は、研修所主催の修習修了20周年記念大会に合わせ、京都の旅館を借りて行ったので、今回は関東の番になっていた。いつも東京というのもつまらないので、今回は、当地横浜が幹事を引き受け、さらに多少珍しいところということで、江ノ島の島内にある旅館を借りて行うことにした。先週の土曜日の話だ。

 
 まず有志のゴルフを回り、その後、江ノ島に行って、安くはない料金を払って宴会で盛り上がり、夜中まで部屋で飲み、翌朝は鎌倉の紅葉を愛で、料亭の昼食をいただいて解散となった。楽しい反面、こういうことができるのは、まったくもって、早く受かった者の特権なのだなあと、改めて考えざるを得なかった。

 
 私は現在、ロースクールに関わることが多いのだが、新司法試験になってから、研修所同期の繋がりはごく希薄になっていて、新司法試験組の交際範囲は、もっぱらロースクールがベースになっているらしい。確かに、2年の任期中、少人数で、前期後期と4ヶ月ずつ研修所で机を並べ、旅行等のイベントにもしばしば出かけた仲と、現在のような多人数で駆け足の修習とでは、絆の強さは比べものにならない。

 

 同期で、同じ横浜に登録していながら、顔も分からないという若手がいるという話を聞くが、無理もなかろう。旧司法試験組でも、和光の研修所を出た世代は、人数が多く、やはり、同期の顔が見えにくいようだ。この先の世代を考えると、同期と交流しようにも、2年に一度、贅沢をするだけの余裕がある人がどれだけいるのか。何とも殺伐とした風景が見えてきて、切ない。

 
 同期の繋がりは、私にとって、私的にも公的にも、とても大事な存在意義の一つだ。これがなくなるというのは、誠に気の毒だと思うし、いろいろな意味で、弁護士の能力や意欲を削いでいきかねないものではないだろうか。



スポンサーリンク


関連記事

New Topics

投稿数1,193 コメント数409
▼弁護士観察日記 更新中▼

法曹界ウォッチャーがつづる弁護士との付き合い方から、その生態、弁護士・会の裏話


ページ上部に