兄が帰国してから、新しい裁判官になって、2回連続して、現地と東京をつないだ電話会議システムを使った、争点整理のための手続きが行われた。その様子は、S弁護士の事務所で傍聴していたが、兄が加わることで、その雰囲気は、これまでのまるでお通夜みたいな感じからは一変した。現地の少しざわめいた様子が、受話器ごしから、聞こえるようになってもいた。もしかしたら、相手方は、少し戸惑っていたのかもしれない。
兄は、手続きの流れを、こちらのペースに引き込むような勢いで臨むと、いつもはおとなしい感じだった相手側の女性弁護人が、こちらに反論するのではなく、こちら側が出したペーパーが、マーカーや曲がっている部分が見えないなどといった、話をすり替えるようなことを、仕切りにS弁護士に伝えている。こちらからすれば、どう考えてもそれは、限られた手続きの時間を潰すためのものにしかとれかった。
やはり、兄がこの裁判のテーブルに着くことが、相手にとって「脅威」を与えているように思えた。なぜあの時、犯人側の若手女性弁護人が、こうまでして時間を稼ぐ必要があったのだろうか。それは、あのベテラン・社協弁護士の指示だろうか。そんな想像を掻き立てられた場面でもあった。
そうした相手側の出方に、S弁護士は、細かく応じていた。兄が口を開く度に、S弁護士は苦笑いをしていたのが印象的だった。のちに、兄に社協のベテラン弁護人の様子を聞いたが、彼は、「いや特にありません」といった調子で、常に下を向き続け、陳述書を眺めて小声で、答えるだけだったという。
兄が答弁用紙を見ながら、事件の事実関係について話を進めている時、裁判官がその件でS弁護士に尋ねると、S弁護士はその内容に触れることなく、いきなりこう言った。
「あの、そちらの方に伺いましょうか」
私は、少々驚き、耳を疑った。そこは、兄の話に対する弁護士としてのフォローを、裁判官は求めていたのではないか。陳述書作成のために、現地に飛び、まだ日が浅いのに、なぜ、また現地に行きたがるのか。そんな疑問が湧き上がってきた。
「次回こちらに、こられますか」
裁判官はそう問い返してきた。この時点で、次回現地に飛ぶ話をこちらとは全くしていなかったと記憶するが、S弁護士は即座に「とりあえずは、行きますので」と言っていた。私は、多額な出費が絡むことなので、まず、家族間で話し合いをしたかったので、S弁護士に対し、その場での現地に行く話に了解する回答はしなかった。考えたくないことだったが、S弁護士に対する不信感は確実に高まりつつあった。
結局、その日の争点整理は、兄の話を別にすれば、S弁護士が提出用紙の文字が見えないと、降り曲がって見えない部分を答えるだけで、終わってしまった感じだった。今回の争点整理は、新しい裁判官になったためか、何か全体的にぎこちない雰囲気につつまれていたような気がした。もしかしたら、以前は何か「馴れ合い」のムードが、そこにあったのかもしれないと思えた。そのムードを断ち切るような、兄のような正面からぶつかるような姿勢に、「プロ」の方々が、何かやりにくさを感じているような、そんな争点整理だった。