司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 
 強制しなければ集まらない

 裁判員強制について、それを合憲化する論拠のないことを述べてきました。それでは、強制しなければこのような国民参加という裁判の仕組みは是認されるのでしょうか。

 裁判員強制という仕組みは、司法にとって望ましいことだからということで導入されたものではありません。その強制を提案したのは司法審です。その意見書は、「裁判員選任の実効性を確保するため」とその義務化の理由を述べています。

 実に簡明率直というべきです。義務化しなければこの裁判員制度は実効性が出てこないと言っているのです。

 その実効性の確保ということについては、特に説明はありませんので、推測する以外にはないのですが、すぐに思い浮かぶのは、強制しなければ誰も集まらない、集まらなかったらこの制度は立ち行かないから、ということでしょう。

 裁判員を駆り集めれば、良い裁判ができるなどという発想はないでしょう。良い裁判になるかどうかは別としてともかく集まってもらわなければ困る、これがすぐに思いつくことです。この義務化をやめたら人は集まりませんから、この制度は立ち枯れするかもしれません。

 「良い経験」コメントの真実

 2010年1月の最高裁の実施した「国民の意識調査」結果でも、参加したいが7.2%、参加してもよいが11.3%と回答しているところをみると、義務化をやめても、この制度は何とか立ち行くかも知れません。

 しかし、裁判員を参加することの実効性はなくなるかも知れません。何故かと言うと、義務化されなくても参加する人というのは割合からすれば20%弱であり、その20%弱の人だけが裁判員になってしまうことになります。その20%というのは、それだけ暇な人、一生に一度は裁判官席に座って人を裁くという体験をして見たいと思う人、つまり暇人、物好き、或いは国家に奉仕することに誇りを感じている忠実な国民によって、裁判員が占められてしまう危険性があります。

 これは、裁判員が全く集まらないことよりもっと大きな問題です。裁判というのは、暇つぶしの場でもないし、人の好奇心を満足させる或いは国家への忠誠を示す場でもありません。

 最高裁判所による裁判員経験者に対するアンケートにおいて、当初は消極的な参加意向を示していた者も、参加した後では97.5%の者が非常に良い経験または良い経験をしたと言っているとの結果が公表されています。先に述べた裁判員経験者ネットワークの集まりでの経験者も同じ感想を述べたようです。

 私はこのことについて以前、それは当たり前だ、人生でめったにない経験をさせられて、それも哀れな被告人を上から見下ろす経験をしてみれば、良い経験と思わないような人は珍しいと書いたことがあります。

 強制を外せばその点の憲法問題は消えますが、このような参加形態は裁判の本質に関わることだと思います。裁判はエンターテインメントではありません。暇つぶしや物好きを満足させたり、人生に貴重な経験を与えることを目的として存在しているものではありません。

 そうなりますと、やはり強制でなければ裁判員裁判の実効は上がらない、司法審のいう「実効性を確保するため」というのは、こんなところにもその狙いがあるのかと勘ぐってしまいます。



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