司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

2 「2011年、平成23年3月11日」午後3時

 この日私は、午後3時からの山本一郎の転院の打ち合わせの件で蒲田の竹山リハビリ病院に行き、30分前に、社会福祉士の森本さんと弟次郎の来るのを待っていた。

池上医大病院入院から2ヶ月を過ぎた。医大病院からは再三転院を求められ医療費の支払いについてもその目途を尋ねられた。リハビリ病院の社会福祉士森本さんと医大病院のソーシャルワーカー、平山さんとは密接なコミュニケーションがあるらしい。

 次郎はしきりと病院の支払いを気にしていたが、後見人が選任されるまで、医大は金持ちで健康保険の金も入ってくるんだから待たせておけばいいよと私は言っていた。

 森本さんと一郎の最近の病状に関して話していたら、2時半過ぎに病院が突然ぐらぐら揺れ始めた。何時もの地震かとおうように構えていたら揺れが続き大きくなって行く。一階の会議室から道路に出ると建物が波打つように揺れ、電信柱も揺れていた。道路も波打っていて、かろうじて立っていられるというほどの揺れだった。その頃には、一階のロビーに、患者や病院関係者が集まり、東北大津波のテレビ中継に見入っていた。

 この日、地震後、首都圏の電車は止まり、通信も遮断した。無線の携帯が繋がらないのには腹がたった。衛星のナビが活躍する時代に携帯無線は衛星経由で繋がらないのかよ・・イカレテルぜという具合だ。結局、その日、家には帰れず小学校の体育館で避難民の経験をすることになった。

 それから半年経たった。雨台風の深層崩壊を含め日本列島は未だに自然災害の恐怖と東北壊滅の衝撃に包まれたままである。その上を福島原発事故の目に見えぬ放射能汚染の脅威がおおっている。何だよ、これは一体何?ドジョウ内閣誕生で日本の政治までが今深層崩壊し始めているのではないか。

 戦後66年の秩序が、民主主義が、・・・そして国を支える根本単位、家族が、結婚制度が流動化し、裸の個人が、今、砂粒のように流れ出している。

 リハビリ病院に転院して2ヶ月を過ぎると、一郎の脳は、短期記憶の回復はまだだが、運動機能についてみれば相当に回復してきた。脳梗塞の場合には発症後、六ヶ月間はある程度回復し、その後症状が固定するということだが、一郎の場合も同じような経過を示している。

 大学病院入院時には、見舞いに行くとヘルパーの「勝瑞さん覚えている?」という問いかけに、一郎は「おお、知ってるよ、勝瑞だろ」と答えながら、私を指差して、この人誰?という始末であった。昔の記憶の世界は存在しているが現在から10年ぐらい前のことは全く覚えていない。

 この間、我が高校B組の彼と親しかった同級生何人かが見舞いにやってきた。「あんた誰?」には結構傷ついている奴もいそうな気がする。もっとも、彼らにとっては、傷つくかどうかなどよりも、脳卒中の恐怖の方が大きかったのではなかろうか。弟の次郎と一緒に私が、病室で始めて一郎に会った時には、絶句というところで、しばらく声も出なかった。

 山本一郎と日大芸術卒の私とは、小石川高校B組の劣等生であるという同一の立場で結ばれていたので、彼とは、社会人になってからもたまには会っていた。私の事務所にも何度か見えたこともある。私が弟の次郎を知っているのも、一郎の依頼で次郎の借金を整理してやったことがあるからだ。



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