司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

かつて捜査の可視化というテーマについて、検察関係者に聞くと、返って来る言葉は、「あり得ない」という話だった。いわゆる取り調べでの被疑者との信頼関係論もあったが、刑事司法を変えるならば、ここだけいじくる話ではない、いわば、大工事になるというニュアンスの言葉が返ってきた。

 そもそも「可視化」という言い方は、日弁連・弁護士会が言っているもので、録音・録画の一部試行が始まっても、頑として「これは可視化ではない」「取り調べの公正さを証明するもの」といった説明まであった。

 そこで、必ずこちらが質問するのは、「新たな捜査手法」についてだ。つまり、当然予想される、その導入を引き換えに「可視化」を受け入れるという話になるのかどうかということである。これについても、以前は大体、返答は決まっていた。

 「そりゃ『武器がほしい』のはやまやまだが、それ以前に『可視化』はない」

 しかし、新しい時代の捜査・公判のあり方を検討している法制審議会の議論では、警察・法務省から、可視化や弁護人立ち会いの制度化などに対し、通信傍受やおとり捜査の拡大、司法取引といったことの検討を求める意見が出されていると伝えられる。つまり、「新たな捜査手法」を引き換え条件にする話である。

 つまり、これは可視化を含めた刑事司法へのメスが、彼らにとって「あり得ない」ものではなくなったことに起因する。足利事件や郵政郵便不正事件に絡む証拠改ざん・隠蔽など、彼らを取り巻く状況が、「あり得ない」では済まなくなったということであり、「それならば」というカードを遂に彼らが切ってきたというとらえ方ができる。

 しかし、言うまでもなく、これらには人権という面で、危うい側面がくっついている。むしろ、彼ら自身がそのことを良く分かっており、当然にそうした議論になるだけに、彼らにとっても、安々とは切り出せなかったカードであったともいえなくはない。「武器をくれ」といっても、叶わないと彼らは考えていたはずなのである。

 また、本来、「武器」を与えるという意味では、当然、捜査側への国民の信頼ということも前提になる。前記事件の発覚で、検察への国民の信頼は地に落ちた状況といってもいい今は、本来の議論からすれば、決して彼らが新しい「武器」を求めるのに適した時期ではないはずである。

 そこに、今の状況の不安要素があるともいえる。つまり、既に止まらない刑事司法へのメスを入れる動きに対して、本来、人権の面から慎重な検討が求められ、かつ、国民の意識としても信頼性で不安を残す捜査側に新たな捜査手法を与える話が、ある種のバランスとして、まさに交換条件的に成り立たせてしまう可能性がないともいえないからだ。

 この刑事司法へのメスは、今回の司法改革では、ある意味、一顧だにされなかったといってもいい誤判・冤罪問題にかかわる論点である。それだけに、引き換え条件とされることと、その中身の不安要因については、慎重かつ冷静な検討が求められる。



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