司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 安倍政権の安全保障法制関連法案の閣議決定後、テレビのニュース番組が報じた「街の声」をみると、それは概ね三種類の反応に見えた。戦争が近付くということから来る危機感、不安感などから反対の意思を示すもの、日本だけがこれまで通りにはやっていけないだろうなどとする賛成論、そして、もう一つは「分からない」というものだ。

 

 安倍晋三首相が、目くじらを立て、政権が公正・中立な扱いをテレビ局側に要求したことがどこまで制作に影響しているか別にして、いずれにしてもこうした番組を見ているだけでは、本当のところ、「街の声」がこの三種類のどちらに偏っているのか、あるいは偏っていないかは分からない。ただ、素直にとれば、これは今のこの問題をめぐる世論状況の課題そのものを反映しているように思える。

 

 「安倍政権は、わざと分かりにくくしている」。この問題に取り組んでいる、ある政治家は、こう語った。閣議決定は、国際平和支援法案と、10法律を一括して改正する平和安全法制整備法案の二本だが、論点は多岐でそれだけでも一般の国民としては理解しにくい。連日、大マスコミも相当に論点を整理して報じているが、要はこれが反対論者のいうような、本当に日本が戦争に巻き込まれることを意味するのか、そのこと自体が「分からない」という、判断留保のようにもとれる。

 

 一方で、安倍首相は、閣議決定の日の会見で、「もはや一国のみでどの国も自国の安全を守ることができない時代だ」と語っている。彼のいう「積極的平和主義」が、「一国平和主義」を対置させて正当化させているのが分かる。前記のように賛成論の多くは、根本的にこの部分で共通の認識に立っているようにみえるし、同時に戦争への不安が過る国民の意識を、時勢論のように聞こえる安倍首相の言い方の「分かりやすさ」によって、国民も「分からない」状態に引き戻されている感もある。

 

 これは、別の言い方をすれば、「戦争」というものの現実感から国民を遠ざけ、極力その危機感を覚醒させまいとする、安倍政権の努力によるものととれる。ただ、逆に恐ろしいのは、この状況が不思議なくらい、今回の法案には日本を「戦争」に巻き込む「分かりやすい」内容が散りばめられていることだ。

 

 武力攻撃事態法改正案に盛り込まれた武力行使の新三要件には、集団的自衛権行使に向け、「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」(存立危機事態)が規定されているが、これがあくまで政府の価値判断に委ねられ、歯止めが利かなくなる恐れがあることははっきりしている。安倍首相は代表質問の答弁で、中東ホルムズ海峡での停戦前の機雷掃海について、原油の輸送経路であり、わが国が攻撃を受けたのと同様に深刻、重大な被害が及ぶというロジックで、新三要件に当たる可能性を指摘した。経済的な影響を加味した論法をとれば、経済活動をそれこそ世界中に展開している日本にあって、どういう広がりをもってしまうかもまた、いたって明白な話である。

 

 アメリカとの関係はどうか。「米国の戦争に巻き込まれると不安をお持ちの方に申し上げる。絶対にありえない」。安倍首相は、こう会見で強弁した。しかし、その理由は全く「分かりやすい」話ではない。他国軍隊への後方支援や、弾薬の提供をしているわが国の自衛隊を、戦争状態にある相手国が、「日本国の防衛」を目的としているとして別扱いをするわけはない。兵站の補給活動が敵の対象になるのは当然で、その結果を考えれば、まさに「巻き込まれる」恐れを考えない方が不自然といっていい。当然、直接戦闘に参加しなくても、相手側からすれば、りっぱな敵対行為なのだから、さらに後方にいる在外邦人や日本国内の国民にテロの危険が及ぶことだって容易に想像できる。

 

 そもそも安倍首相が掲げる「積極的平和主義」を掲げるが、ベトナムにしても、イラクにしても、第二次大戦後のアメリカの、まさに「積極的平和主義」が、どういう結末を迎えているかを、私たちは知っている。「国際平和支援法案」を実質「米軍等戦争支援法案」と読み変えた政治家もいたが、その米国のやり方にとことん付き合うことに大義を見いだせるとは思えない。米軍からの要請を撥ね退けてきた憲法上の根拠を自ら捨てる以上、「日本のため」に限定し、条件付きでお付き合いをするなどということに、おさまると考える方が難しい。

 

 そして、これらを「そうはいってられない」といわんばかりの根拠が薄い時勢論や、不安を逆手にとったような日米関係を強調した米国盲従論で越えようとするのは、本来は相当に無理な話のはずである。

 

 私たちは、本当に「分かりやすい」危機に直面している。実は、そのことと冒頭の「街の声」を重ね合わせると事態は、逆により深刻であるといわなければならない。安倍首相自身、彼にとって、この不都合な「分かりやすさ」を十分に分かっており、分かっているからこそ、「街の声」にも「戦争法案」発言にも神経質な反応を示した。ただ、その一方で、国民に説明する前に米国議会で法案成立時期を明言し、これから国内で時間をかけた議論をする姿勢ではない。それで済む、いけるというヨミ。国民世論、民主主義を相当侮っているようにみえる(「『戦争法案』発言で再びみせた安倍タイプ」 「安倍首相のなかの『軽視』と『怯え』」)。

 

 日本を変えてしまう法律を、国民の危機意識にじっくり向き合った議論をするでもなく通過させることに、安倍首相をはじめ与党議員が、なんら抵抗がないとすれば、私たちは根本的な選択の誤りを深刻に反省しなければならない。

 

 ある法律家は、「細かな内容以前に、集団的自衛権行使そのものが違憲なのだから、それだけで法案はアウト」と語った。閣議決定翌日の5月15日の朝日新聞社説は、昨年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定での実質的な憲法9条改正、今回の法案が成立で恣意的な解釈改憲を立法府が正当化し、行使容認に道を開けば、もう簡単には後戻りできない、という強い危機感を表明し、見出しに「この一線を越えさせるな」と打った。「分かりやすい」はずのこの危機的状況を、今、わたしたちはどこまで共通のものとして認識できるのか。この国の未来がかかっている重大な局面である。



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