1審の「成果」について、専門家からの予想以上の評価を得ながら、そうしたことを把握しきれていかった本人訴訟当事者としての複雑な感情に襲われながら、私たちは弁護士の事務所をあとにし、今後、どのように進めるか、改めて話し合うことにした。
実は、C弁護士との会話の最後で、私は彼に率直に尋ねていた。
「どうですかね?この案件を、先生にお受け頂くことは、可能ですかね」
結論からいえば、彼のその時の返答は、お茶を濁すものだった。「断る」とは、断言せず、「考えとくわ」と彼は言った。C弁護士はなぜ、こんなあやふやな回答をしたのか、こちらに気を遣っただけか、ということが、その時頭を過ったが、それよりもやはり彼のような、現実を知り尽くしているような専門家でも、いやそういう専門家であればこそ、この案件は引き受けづらいのか、などと考えた。
C弁護士に相談料を支払い、事務所をあとにしようとした時、笑みを浮かべた彼の口からこんな言葉がこぼれた。
「お前たち兄弟なら、ここまで出来たのだから、この波で弁護士なしでも、乗り切れるだろう」
「でも、先生の先程の話を聞けば、この世界にはやはり癒着とか存在するんですよね?そんな中、ガチ勝負はきついな」と、私が漏らすと、「だから、そんなことはもうないと話したじゃないか」とC弁護士。その場で、全員で爆笑してしまった。短い時間だったが、互いの距離感は近くなっていたことは間違いなかった。
先ほどの受任をめぐる、ぼやけたC弁護士の反応に割り切れないものを持っていた私は、最後にもう一度、私たちの案件についての受任の意思を彼にただした。彼は、笑いながら、「お前らは、発想が過激というか強い。大丈夫だろう。受けないとは言わないが、受けるとも言わない」と、私たちを見送る際、ドア越しに何度も、彼はつぶやくように言った。
もし、あの時、本気でお願いしていたなら、彼は、引き受けてくれただろうか。不思議なことだが、今、思えば、ひょっとすると、このような真剣勝負、こちらがもっと懇願していれば、C弁護士は引き受けてくれていたのではないか、という気がする。そんな臭いがプンプンしていた。いまや他界してしまった彼に、その時の本音を聞くことは、もうできない。
ただ、彼のとの会話には、別の大きな成果があった。彼の「乗り切れる」という評価は私の背中を強く押してくれた。そして、この件は、最後まで自分たち家族の力で、ケリをつけたいという気持ちを強くさせてくれていた。改めて、自分たちの力でやり遂げるという気持ちが、私の中で固まった。