司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 2018年、平成30年となった。今年の7月で私は74歳となる。実感としては、人生確かに100歳時代になったように思われる。健康寿命90歳の時代ということでもある。老化を意識し始めたのは、昨年の秋ぐらいからだ。まず、血糖値がコントロールしにくくなった。もっとも、原因は、水中含めてウオーキングをサボり始めたことや、血糖値チェックを怠り始めたことにもあるが、真の原因は意志力が弱まり、何事も面倒くさくなり、人に会うのも嫌になって来た。休みの日は、ゴチクルで配達料理を食べながらウイスキーをストレートで飲み昼寝して、起きると昔のDVDでユーゴスラヴィア内戦のドキュメンタリーなどを見て、日本人には民族問題も、朝鮮問題も理解できるはずもないなどと考えながらもう一杯。

 

 仕事はしている。簡易裁判所には訴訟代理人として出廷しているし、本人訴訟での弁論準備書面の作成は私しか出来ないし、忙しいことは忙しいのだ。最近のクレサラ訴訟は、サラ金側も支配人による本人訴訟で弁護士代理人が出廷してくることは余りない。蒸し返し論点あり、立法論を長々展開してくるものもあり反論するのは結構面白い。

 

 しかし、一般的に見れば私の筆力は劣って来たように思う。弁論準備書面の作成は、判例を検索して、援用した判例理論を組み合わせて相手方の主張に反論するのだから、素人にも普通の司法書士にもかなり難しいものであるのは事実だが、パソコン上での検索と貼り込みで20ページの論文作成も午前午後6時間もあれば十分だ。しかしコピーアンドペースト(判例の他自分の理論もある)とはいえ、かなり疲れる。脳が糖分を消費するから。それで昼にビールを飲んで、パンか寿司をたっぷり食べると力は出るが血糖値は200を突破する。

 

 評論家西部邁氏が1月21日、多摩川に飛び込んで死んだ。78歳。私のウオーキングコースでもあったから、多摩川土手で川を眺め、この冷たい川によく飛び込んだものだと思う一方、私ならオールドパーをボトル1本飲んで気持ちよくなり、睡眠薬を多量に飲んでこの世とおさらばする。

 

 「西部氏はレトリックの魔術師と喧嘩師が共存する不思議な人である」と宮崎正弘氏はいう。私には、丸山眞男や吉本隆明氏より余程面白い人だったが、そのニヒルでストイックなところが滑稽でもあった。「孤独は、その時代なり社会なり場所なりを支配している雰囲気から逃亡するときに生じる感情なのでしょう。あるいは、それと闘って(案の定)、破れたときに生まれる感情なのでしょう。いずれにせよ、孤独を自覚するのは人間の輝かしい特権と言わなければなりません。人間だけが、己の言動に意味を見いだそうと努め、その意味を表現し、伝達し、蓄積し、そして尺度するだけのことに未充足を覚える」と言い残して西部氏は死んでいった。

 

 私はまだ死ねない。あと20年、94歳までは死ねない。つまり、少なくともその頃までには、現在、戦後70年、明治150年になるこの国の衰弱と動乱の結末を見なければならないからだ。それを見る喜びのために今を私は生きている。バブル時代後半に始めた司法書士30年、小学校5年で父が死んでから67年の人生、今、立ち止まりちょっと振り返ると結構面白い人生だった。考えれば「ざまあ見ろ人生」だったような気もする。そして、死ぬ前にざまあ見ろといって気持ち良くあの世に旅立つことにしよう。



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