「中傷工作」問題と「サナエトークン」をめぐる関与と答弁の問題で、追及されている高市首相であるが、目を奪われがちなこれらの問題 (「中傷工作問題の本当の深刻さ」「『虚偽答弁』を通用させてきたもの」) を、いったん脇に置いて、有権者と高市政権の関係を見てみれば、深刻な「ズレ」ばかりが目につく。
第一のズレは、世論調査が示す有権者が求める物価高対策など暮らしに直結する政策と、政権が実際に動かそうとしている立法群の乖離、優先順位の問題である。国旗損壊罪、皇室典範改正、情報機関の権限強化を目的とした国家情報局関連法。ずらっと並ぶ統治・統制の在り方を変えることを含むこれらの法改正・制定は、国民の声を極めて意志的意図的に無視している観がある。
第二は、政策そのものの見かけと、その機能・役割の実態的なズレの問題。皇室典範改正、国旗損壊罪、国家情報局設置は、それぞれ「皇室の安定」「国民感情の保護」「安全保障の強化」という、表の顔を持つ。しかし、実際の制度の機能として透けて見えているのは、象徴的忠誠の強制・監視と処罰の両輪の整備であり、いわば統治インフラの再編である。このズレを十分に国民がよんだうえで、この動きをとらえているかが問われているのである (「国旗損壊罪の先に広がる世界」) 。
しかし、一方で下降フェーズに入っているとはいえ、高市政権は依然一定の高い支持率を保ち、有権者の「高市人気」がそれを牽引しているかのような世論調査結果と報道がみられる。消費税ゼロや移民問題への対応での失望の声もあり、さらに前記民意と乖離しているようにもとれる政権が、なぜ、それでも支持されるのか――。
そのからくりには、一つの推察が成り立つように思える。それは、高市支持の構造が、前記消費税や移民問題に関するような政策的な支持よりも、もっと違うものにウェートが置かれたものであり、支持もそうした層が中心である可能性である。強いリーダーへの期待、左派・既存メディアへの反発感情、女性初という形式的新鮮味。つまりは政策の内容よりも、キャラクターへの同一化の目線がそこにあるのではないか。そしてその向こうに、彼女を支持しているが、自分たちが本質的結果的に何を支持することになっているかに覚醒していない有権者が相当数いる可能性まで見えてくる。
そのうえで、押さえるべきは、ズレの非対称性とも言うべき問題である。有権者のズレが気付きの問題であるとすれば、政権のズレはまさしく意図の問題だからである。
有権者のズレは、政権が何をしようとしているのか十分に知らない、分かっていない、知っていても、個々の政策の意味までは見えていないという、いわば認識のズレ。これは、ある意味、情報環境と政治リテラシーの問題として括れる。
ところが、政権側のズレは、性格が根本的に違う。世論調査の数字を政権は当然みているし、物価高対策を求める声が圧倒的であることは百も承知で、別の立法を優先させている。つまりは、知ったうえで、意図的にあえてずらしている、のである。
そしてこれが意味するところは、問題が政策判断の違いではなく、政権が民意を統治の根拠として、そもそも扱っていないということである。有権者のズレは、気付けば修正できるもの。しかし、政権が今整備ようとしている制度、特に情報統制と監視の仕組みが定着していけば、そもそも気付くことで修正する条件そのものが損なわれていく。修正可能性の窓は、どんどん閉じていく。このズレは、時間とともに固定化されていってしまう非対称である、ということもできるのである。
しかも、この過程で前記高市支持の構造を前提にすれば、政権が応答すべき「民意」を選別する可能性も十分にある。もはや、ここまでくると、われわれは政権への危惧を越えて、もはや民主主義の作動不全を恐れなければならないように思えてくる。
支持率の数字は、「民意」の記録ではあっても、本当に大衆が求めているものの反映とは、言い切れない。だからこそ、われわれは、今のうちに政権が何のために動いているのかを直視し、問う必要があるのである。