司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>

 

 私たちは、もちろん、これまで法廷での敵味方に分かれての弁護士同士のやりとりが具体的にどんなものであるか、分かっていたわけではなかった。それこそ、テレビドラマや映画のワンシーンで見る程度の、イメージしか持ち合わせていなかったといっていい。

 

 そのことは、私たちをとりわけ神経質にさせることになっていた。裁判は本来、裁判官の前で、どれだけ自分たちの主張を伝え、理解させるかにエネルギーが費やされるものだと思う。しかし、私たちはそれに加えて、知らないがゆえに、相手方弁護士の動向に神経を尖らせざるを得なかったのだ。

 

 もちろん、プロの弁護士においても、それに神経を使わないとは思わない。しかし、私たちは確実に彼ら以上の精神的な負担を強いられていると感じていた。それは、やはりプロがこちらにいない、という欠落感、ある意味、負い目のようなものと切り離せないものだった。これが、本人訴訟というものか――。私は何度もそう思わずにはいられなかった。

 

 証言台を見ると、既に兄が、「宣誓」を始めていた。遂に弁護人抜きの裁判の本戦が始まったのだ。記憶をたどると、私たちは緊張もしたが、裁判自体は、プロの弁護士がいなくても淡々と進行していった。

 

 裁判官から被告への質問、そして、兄へ。兄が答える時、反論するときは、すべて裁判官を通じてやる。その間、長い時間が流れていたわけではなかった。随所に相手方の弁護人が出できて、口をはさむ感じではあったように思うが、なぜか、今はぼんやりとしか覚えていない。そのこと自体、私が脅威を感じなかったということだろうか。

 

 むしろ、ここでも印象に残っているのは、相手側弁護人が予想以上に静かだったことだ。ただ、彼らの落ち着いた姿勢は、こちらに不気味さを感じさせていた。これは、プロの余裕なのか、はたまた、これも裁判に勝利するための戦術の一つなのか――。前記したような精神状態の私たちには、そうした詮索が先にたった。正直、初めての実戦でのプロとの駆け引き、戦術の読み合いは、こちらの思い込みも含めて、神経をすり減らし、ひどく疲れるものだった。

 
 兄は相当緊張した様子に伺えたが、裁判官を通じ、相手に対し、私といくつか練っていた質問等をぶつけていた。しかし、相手側弁護人二人は、私たちの「トラップ」を見切っているように、口数少なく返答するだけだった。これも、弁護人独特の心理作戦ではないのか、と考えた。

 

 私たちは、とにかく攻めていた。この場で勢いよく、強い主張を繰り返したのは、明らかに当方だった。攻めていたからといって、それでただちに勝利に繋がるなどという甘い考えはさすがになかったが、これまでの経緯と心中を述べることには意味があると考えていた。

 
 傍聴席の人々は、これをどう見ていたのだろうか。振り返ると席には、かなりの人々が見に来ていた。その間、父親もじっとこの戦況を見守っていた。私自身も、状況を小声で父親の耳元につたえながら、兄とともに戦っていたのだった。

 
 すると、裁判官の目線が私の所へときた。裁判官は、私に向って、黙ってうなずいた。阿吽の呼吸というべきだろうか。すぐに理解できた。遂に父の出番がきたのだ、と。



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