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 〈制度意義を問う形の判決批判〉
 

 東京都目黒区で2018年3月、当時5歳の船戸結愛ちゃんを虐待死させたとしてその養父が保護責任者遺棄致死などの罪によって2019年10月15日東京地裁裁判員裁判で懲役13年(求刑18年)の判決が言い渡された。同判決は、検察・弁護双方の控訴なく確定したという。また、同年9月17日には実母に対し保護責任者遺棄致死の罪で懲役8年の判決が言い渡され、この事件については被告人が控訴したという。

 この父親の事件に関連して産経新聞は2019年10月17日付「主張」で「裁判員制度の意義どこへ」の見出しで、「裁判員裁判による重罰には上級審がこれを覆す事例が相次いでいる。制度導入後、裁判員裁判による5件の死刑判決が上級審により破棄された。最高裁は裁判員裁判による求刑超えの判決を破棄した際『同種事案の量刑傾向を考慮することの重要性は変わらない』と述べている。……裁判員制度導入の背景には、従来の量刑傾向と国民の常識との間に乖離があるとの反省があったはずである。先例重視が行き過ぎれば制度そのものの意義を失う。亡くなった結愛さんは、ノートに『もうおねがい、ゆるして、ゆるしてください』などと書き残していた。証拠として出された文面に、男性裁判員は『衝撃的だった。あの内容を書かせてしまった親に怒り、憤りを感じた』と述べた。これが判決に反映されるべき国民の日常感覚であろう」と主張している。

 また、同新聞社は2019年12月3日付新聞で、いわゆる「心斎橋通り魔事件」について最高裁が一審裁判員裁判による死刑判決を破棄し無期懲役とした大阪高裁判決を支持したことについて、その判断が「国民感覚とズレ……制度形骸化懸念も」との見出しで、問題性を指摘した。翌日の「主張」においても、この問題を取り上げ、裁判員制度の趣旨は揺らいでいないか、問い直すときである、と記している。


 〈裁判員選任方法と適任者選定の問題〉

 司法制度改革審議会は2001年6月12日の意見書において司法制度改革の三つの柱の一つとして「裁判内容に国民の健全な社会常識を一層反映させるため、一般の国民が裁判官と共に裁判内容の決定に参加する制度を新たに導入する」として裁判員制度導入を提言した。そこで提案され、のちに制度化された裁判員制度の裁判員選任方法は、周知のとおり選挙人名簿から無作為抽出した者を母体として事件ごとに選任するというものであり、選任され召喚を受けた裁判員候補者は出頭義務を負うというものである。

 同意見書は「制度を生かすもの、それは疑いもなく人である」と記す(「法曹の役割」の項)。その前提からすれば裁判員制度についてもそれを生かすも殺すも結局は「人」であるということになろう。裁判員はまぎれもなく非常勤裁判官であり、裁く立場の者がどんな素性のどんな能力を有する者かは、その職務が人の生死、自由に直接かかわる性質のものであれば極めて重要なことであるはずある。そのような人を裁く立場に立つ者が前記のような選挙人名簿から無作為で抽出した者の中からくじで選任され、しかも出頭義務を負うという仕組みの場合、裁判する者として最も適切な者を選定し得ると言えるであろうか。

 西野喜一教授が述べたとおり(「裁判員制度の正体」p97)、無作為抽出、つまりくじで選ぶ、特にその選出母体が選挙人名簿という、原則年齢要件を除いては能力、資格を問わない者から選ぶということは、選ばれた人のなす行為はどっちに転んでも構わないような場合に限られるということは誰が考えても正しいであろう。裁判の結論がどっちに転んでもよいはずがない。くじで選ばれたものが常識を有する者、その者の感覚が正当なものとして裁判に反映され得るとどうして言えるのであろうか。

 かのいわゆる最高裁大法廷裁判員制度合憲判決(2011年11月16日)は「裁判員制度はくじによって選ばれた者でも選任のための手続きにおいて不公平な裁判をする恐れがある者は除かれる仕組みになっており専断的忌避の制度があること、途中の解任制度もあることによって裁判員の適格性が確保されるよう配慮されている」旨判示する。そのようにして選任すれば不公平な裁判をする恐れがある者を弾くことが出来るというのは、特に社会学的に検証された根拠のある話ではないけれども、それはさておき、その判決も選任された裁判員が健全な社会常識を有する者であるとか、正当な感覚の持ち主だとまでは言っていない。また言える筈もない。



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