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 制度は、こういう形で変質していくのではないか――。岡口基一・仙台高裁判事を罷免とする弾劾裁判所の判決が出される、この国の状況に暗澹とした気持ちにさせられた。既にこの判決の問題性については、メディアも法曹関係者も指摘しており、その論点も明確になっている(「岡口罷免判決要旨を読む」弁護士法人金岡法律事務所コラム)。

 詳細はそちらをご覧頂きたいが、その問題性とは、要するに同判事のSMSへの投稿などの表現行為が、罷免事由の「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」に当たるかが問われながら、厳格で厳密な基準が示されないままに、罷免という結論が出されたところにある。

 判決は「非行」に当たるのかについて、裁判官という地位に望まれる「一般国民の尊敬と信頼を集めるに足りる品位を辱める行為」かどうか、という判断基準は示した。しかし、そこから先は、およそ強引といってもいい、まさに後年判断材料になるべき点をすっとばすような内容だった。つまり遺族を傷つけたことをもってして、何がどの程度が「著しく」に当たり、何がどの程度、裁判官として「国民の信託に違背」したとされたのかが、具体的に辿れないのである。

 そして、それは職務外の表現活動が問題となったケースでの罷免という結論として、これまでの犯罪や不正行為で問われた前例とも、また、法曹資格も退職金も失うという結果とも、釣り合っていないことが指摘されている。しかも、同判事は、遺族への謝罪・反省の意を示し、再任を希望しない意向も示していた。

 そのため、SNSをはじめ、あらゆる表現行為に対して、今後、裁判官が委縮する、そうした行為そのものを控えるという影響が出ることが懸念されている。いうまでもなく、その行為で「傷付いた」という主張が当事者からなされれば、今回のケース同様、その程度が実質不明確なまま、処分対象になりかねないと考えるからだ。それが、裁判官と国民の距離を、さらに広げるということも言われている。

 さらにいえば、当事者の主観的な受け止め方、いわば「傷付いた」「不快になった」という主張が取り上げられれば、裁判官をその地位から排除できる前例とみることもでき、政治の司法への介入といったことまでが、問題の射程に入って来る。

 しかし、冒頭の「暗澹とした」気持ちにさせられる別の視点をここで付け加える必要がある。それは、端的に言って、国民はどちらを向くのか、あるいは向いているのか、ということである。国民は、これまで書いてきたような、この決定の問題性を理解するのだろうか、というよりも、それを上回る価値を、この決定に見出してしまわないだろうか、という懸念である。

 この問題に対して、弁護士界内では以前から、岡口判事のSNSなどでの発言の不適切さを認めながら、弾劾裁判での罷免は「行き過ぎ」「不当」という指摘が多く見られてきた。しかし、この判決以降、ネットを含めた、社会の反応を見てくると、相当数の国民は、岡口氏の裁判官としての「不適切」とされた言動と、今回の結論を、その行為に相当する正当なものとして受け止めているようにもみえる。つまり、有り体に言えば、「けしからん」裁判官を排除するのに越したことはない、という一点で、というか、むしろそれ以上の価値観で、この問題を見ていない、見れない現実があるようにとれるのだ。

 それは、まさしく「結論ありき」と批判されたこの判決と、あまりにもその態様は一致している。嫌な見方をすれば、この判断に加わった国会議員たちは、この国民の反応を十分読んだからこそ、前記強引な形の判決で「罷免」の結論を堂々と導き出せたのではなかったか。

 「『司法権の独立』を守るため、裁判官の身分は憲法で手厚く保障されている。しかし、岡口氏が不罷免となれば、裁判官が事件関係者らを傷つけ、侮辱的な発言を繰り返しても、その地位が守られることになる。国民の納得は得られまい」

「岡口氏に対する罷免判決について『国会議員が裁くことに違和感がある』『裁判官を萎縮させる』といった批判が出ているが、いずれも見当違いだ。司法、行政、立法という三権が相互監視することが憲法が求める民主主義の基盤である」(4月5日付け、産経社説「岡口判事を罷免 国民常識にかなう判断だ」)

  この判決に前記したような方向からの懸念を示すメディアがあるなかで、逆に産経新聞は、判決の結論を正当と受け止める国民の反応に沿うような論調を掲載している。この中で、産経は、分限裁判を2度開きながら戒告処分とし、訴追請求はしなかった最高裁に対しても、「国民の常識と乖離(かいり)した身内に甘い処分といわれても仕方がない」と批判している。

 産経が言うような「国民の常識」を、本当に国民がこの判決に被せるのであれば、この判決の問題性は今後も顧みられることなく、そして、この制度の在り方も変わってしまうだろう。

 朝日新聞は逆に、前記したような判決への問題意識を踏まえて、こう社説(4月4日付け)を締め括っている。

 「今回がアリの一穴にならぬよう、国会と司法の関係を見守るのは国民の責任である」

 この判決とそれが出された状況は、私たちが大きな分かれ道に立っていることを示すものかもしれないのである。



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