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 1985年の日航ジャンボ機墜事故から40年で、メディアは様々な形でこの事故について取り上げたが、その中で、朝日新聞がある「ファクトチェック」なるものを掲載している(8月13日付け朝刊)。この事故が海上自衛艦から発射されたミサイルで撃墜されたのが原因とする説についてのものである。

 「事故原因について、国の航空事故調査委員会の報告書は、機体後部の圧力隔壁が修理ミスで強度不足となり、金属疲労で亀裂が入り、飛行中に破れて、墜落したとする。報告書に自衛隊の関与に関する記載はなく、政府も『撃墜説』を否定する」

 この説明にうえに、結論としての「誤り」のシロ抜き文字が躍っている。併載されている記事でも、この件が言及されているが、登場するのは運輸安全委員会の解説、事故調査担当者、日本航空「安全啓発センター」、防衛相らの証言等である。おまけに、その他の自衛隊による証拠隠滅説や自衛隊機による撃墜説も、「政府はいずれも否定している」と付け加えている。

 結論から言うと、この朝日の扱いに驚くとともに、かねがね疑問に持っていたファンクトチェックというものの正統性について改めて考えさせられた。後述するように、もし、ファクトチェックなるものが事実の検証であるというならば、この件に限らず、少なくともこのような扱いのものは、メディアとしてむしろ掲載しない方がいいように思えるからだ。

 問題は一つには、こうした形で行われるファクトチェックは、特定の結論へのイメージ操作につながる危険性、あるいはその意図的な操作そのものを疑い続けなければならなくなることである。

 いうまでもなく、ファクトチェックを行う側が、自身の主張を補強するデータのみを選択し、都合の良い解釈をしている可能性をまず疑う必要がある。さらにファクトチェックで参照される情報自体の中立性、客観性、その抜粋の公平性という問題もある。

 それを越えるもの、あるいはその不十分さを越えて、それを見たものに伝えるものは、結局データもとの権威ということになってしまう。つまり、事実検証とは言いながら、今回のそれが明確に示しているように、結局それは「政府が言っているから」「報告書に書いてあるから」「関係者がいっているから」信じなさい、といっていることに過ぎなくなるのである。

 そもそも今回の件でも、最近の典型的なレッテル張りといえる「陰謀論」と名付けられそうな諸説を唱える側の多くは、その権威筋の見解を知らないで、その説を唱えているだろうか。当然にそのスタートは、その公式見解と言えるような権威筋の発表への疑問・疑念から始まっているはずだ。だとすれば、そもそも、こうした形で「公式見解」を補強するバイアスのチェックは、とにかく権威筋の発表への疑問・疑念の、震源地に近い人々ではない、その他の大衆を、そこから引き剥がすことを目的としているととれてしまう。

 二つ目の問題は、ここにつながる。これでよしという、大衆の認識を深め、固定化することでいいのか、ということである。基本的に権威筋の発表を妄信し疑わない理解の仕方を正しいと認識すること。さらに事実検証とされるファクトチェックも、今回の朝日のように権威筋の公式見解の紹介にとどまり、異説の根拠に踏み込まないでもいいとし、それで成立するものとして理解されること、に大衆をより向ける結果である。

 有り体に言えば、異説がどんな根拠で唱えられ、公式見解を疑うどんな材料があるのか、ないのかに踏み込まず、結論を出す「検証」の正統化である。日本を代表するような大新聞がそれを堂々と行う影響力にも、もちろん計り知れないものがあるというべきだろう。

 過去の薬害事件、さらには近年をみても、政治不信につながってきた様々な事象をとっても、権威筋の当局や政治家たちの公式発表、あるいは疑惑否定の言葉だけを真に受けて、大衆が真実から距離を置かれたことなど枚挙にいとまがない。その大衆の教訓は、徹底的に疑うこと。隠ぺいする側に都合のいい、物分かりのいい存在にならないこと、である。そして、それが貫かれることがない、緊張感のない関係のうえに、彼らはまた、大衆を欺き続けるのである。

 それを百も承知であるはずの大メディアの、今回のようなファクトチェックへの姿勢は、むしろ前記隠ぺいする側に都合のいい、イメージ操作への加担者として、現在の「オールドメディア」不信の傾向に、さらに拍車をかけるものにしかならないと思えるのである。



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