司法ウオッチ<開かれた司法と市民のための言論サイト>




 新型コロナウイルスの影響で3ヵ月遅れでの実施となった、今年の司法試験の受験者数(速報値)が3703人であることが、メディアを通じて流れたのを受け、ネット上には、次のような皮肉の声が流れた。

 「司法試験3000人時代が十数年遅れてやってきたな!司法制度改革最高!」

 改めて説明するまでもないかもしれないが、司法改革が目指した司法試験の年間合格者3000人目標は、とっくの昔に破綻し、いまや政府方針の1500人死守も破綻寸前。ところが、受験者もどんどん下降し、合格者ではなく受験者で、3000人台に突入してしまった、という話である。

 ちなみに、司法試験受験者は、2006年の新司法試験制度導入後のピークが、これまでところ2011年の8765人だから、この10年で実に半数以下に減ったことになる。さらに同制度導入前の2003年の旧司法試験受験者数は、4万5372人にも上っていたことを比べると、その落ち込みぶりは、もはや異常といってもいいようにみえる。

 前記法曹人口増員政策の失敗をめぐって言われてきた、合格者の減員を含めた同政策の見直しを求める論調に対し、最近、無用論を言う声を業界内で聞くことになっている。つまり、あえて減員を議論しなくても、受験者減という現実が結果を出し、法曹人口は適正人数におさまる(収まらざるを得ない)という論調である。

 弁護士人口は依然年間1000人程度増加する、増員基調が続いているが、こうた状況から、既に下降局面に入るのが見えてきたという意見もある。

 現実が、この「改革」について、はっきりとした評価につながる「結果」を出しつつある、という点は間違いないだろう。しかし、だからといって、この問題が、あたかも自然と落ち着くところに落ち着くとして、今。傍観していていいことになるとは、とても思えない。これもいうまでもないことだが、適正な法曹人口という視点で考えれば、これはおそらく資格制度にとって、最悪な形での減員化といえるからである。

 増員政策と新法曹養成制度の失敗。つまり、増員政策による弁護士資格の経済的価値の下落と、時間的経済的負担を課す法科大学院制度への費用対効果としての見切り(前記弁護士の経済状態による先行投資の回収困難さを含む)、さらに給費制廃止といった志望者の経済的負担という意味での逆効果政策の影響。これらによる、根本的な「改革」の結果による、志望者の敬遠が、受験者減の根本にある。

 およそ「改革」の想定でないことはもちろん、負の影響によって、否応なく導かれたのが、今日の受験者減の結果である。その中で政府方針の合格1500人死守も数値的には危うくなっているようにみえるが、いうまでもなく、志望者が減るなかで、一定数値の輩出に固執すれば、資格制度の選抜機能がそれだけ棄損されるリスクが高まる。この「自然減」の結果は、その危険性にもつながっているのである。

 2019年に法科大学院に入学希望者数が増員に転じたことや、法科大学院の修了認定が厳格化しているなどを理由に、「改革」の成果はすこしずつ現れており、必ずしも前記失敗による法曹界離れに起因する受験者数減ではない、というような趣旨の論調も、新制度を擁護する側にはある。また、学部3年・法科大学院2年の「法曹コース」新設や在学中の司法試験受験容認の制度見直し効果に期待を寄せる意見もある。

 しかし、「改革」がもたらした、弁護士の経済的困窮、あるいは経済的価値の下落と新法曹養成制度の現実が、もはや志望者にとって妙味のないものと評価されていることを、減員の結果から切り離してみるのはいかにも苦しい。そして、そのようにことさらに見ることは、制度を維持したい側の意図以上に、志望者やあるいは社会に利益が読める話ではないのである。

 自然と志望者が減る、従ってそれに伴い、やがて自然と法曹人口も減るという結果。それが何らかの法曹の質の向上につながる選抜機能(必ずしも試験制度によるものに限らず、より優秀な人材だけがチャレンジすることに結び付いたもの)の結果ならばともかく、ひとえに就労後の条件やチャレンジ環境の劣悪さによる選択だとすれば、それは無視していいわけがない。どこまでいっても、資格制度として、本質的な成果につながっているとはいえないからである。

 「改革」と制度存続のためでなく、あるべき法曹とその養成のために、よりよい方向を真剣に目指すというのであれば、今、何を無視してはいけないのかは明白のはずである。



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